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≪先生にインタビュー≫菅原先生の「未来」のお話

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お茶の水キャンパスには、個性豊かで素敵な先生がたくさんいます。

先生はどうして先生になったのか。

先生はどんな先生だったのか。

先生はどんなことを考えながら授業をしているのか。

「先生たちにインタビューをしてみました」シリーズ第3弾。

前回は、菅原先生の〈現在〉についてのお話でした。

今回は、菅原先生の〈未来〉についてです。


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 「インタビュー」。"interview"というのは、"inter"「お互いに」と、"view"「見る」という形態素から成り立つ語である。つまり、インタビューとは、話し手から聞き手への一方向的な情報の伝達に終始せず、話し手は聞き手からの問いかけによって、聞き手は話し手の語りを聞くことから、それぞれが自身を見つめ直す行為なのだ。

 筆者が昨年末から始めた、先生へのインタビュー企画も今回で3人目。毎回、一時間ほど話を聞く。インタビュー終盤、菅原先生から突として語ってくれたことがある。

「卒業してからも母校に遊びに来てくれるような生徒を育てたい、って言っていたのを覚えているんですよ。」

それは、菅原先生が父親からよく聞いていた思いだった。



「僕、小学校のときに学校からの宿題で、仕事している親にどういう仕事しているかインタビューしなさい、みたいなのがあって、で、そのときに僕が父に質問したんですよ。それで、今の仕事をやっていてやりがいを感じる時はどんな時ですか、って聞いたら、まったくその同じ答えを返して。」

好奇心からではなかった。それは飽くまでも「宿題」という外的な動機付けから生まれたインタビューである。


「確かにそういう風に、僕が子どものときから言ってて。卒業してからも母校に遊びに来てくれるっていうのは、何かしらの思いがあって来てくれるわけじゃないですか。何も、何の気持ちも持っていなければ、多分絶対に遊びに来ないと思うんですよね。少しでもそういった思いを持ってくれるような生徒を育てたい、そういう気持ちを持ってくれるように卒業までもっていきたい、って。その小さいときに話していたことばをいまだに覚えていて、じゃあ、僕も教員になったらそのことばを実現させようと思ってたんです。」


インタビューとは、話し手と聞き手が、相手の問いと語りに耳を傾け、自己を見つめ直す営みである。菅原先生は父親へのインタビューを大人になるまでに幾度となく反芻し、自分が教員になったときの目指すところを定めたのだった。

 菅原先生は幼少期、「父とはほとんど野球の話しかした記憶がな」かったと語る。「野球の試合が終わってから、家帰って、ああだこうだ言われて」ばかりだった。それが教職に就くと、「どういう仕事しているかっていうのは話すようになって、話が通じる」感覚を覚えた。自身の忘れがたい出来事である「卒業式の話を父にしたら、父も全く同じ考えというか、すごい共感してくれ」たこともあった。高校を出て間もなく親元を離れ、密に連絡を取り合っているわけでもない。だが、父親は菅原先生にとって「教員としての、なんだろう、佇まいとかそういうのを教えてくれる」大切な話し相手となった。

小学校の宿題としてのインタビューが、「先生」と呼ばれる二人にしか分からないことを肴に一盞を傾ける時間になる日もそう遠くないかもしれない。

今日は菅原先生の「未来」についてのお話でした。

菅原先生のお話はここまで。

次にお話をご紹介できる先生は誰でしょう。

お楽しみに。

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「先生たちにインタビューをしてみました」シリーズ

西尾先生の「過去」 「現在」 「未来」のお話はこちらから

大久保先生の「過去」 「現在」 「未来」のお話はこちらから

菅原先生の「過去」 「現在」 のお話はこちらから

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