News最新情報

左右にスワイプすると次の記事/前の記事に移動します。

≪先生にインタビュー≫木村先生の「現在」のお話

資料請求 バナー.jpg

お茶の水キャンパスには、個性豊かで素敵な先生がたくさんいます。

先生はどうして先生になったのか。

先生はどんな生徒だったのか。

先生はどんなことを考えながら授業をしているのか。

 

「先生たちにインタビューをしてみました」シリーズ第4弾、2回目。

今回は木村先生の先生の「現在」のお話をご紹介します。


3木村さん.jpg

 

 一人前の大人とは何だろうか。

 私たちがこの世界に生れ落ちたとき、親は、私たちにとってこの世界の最も身近な古参者である場合が多い。私たちは一人で生きる術を持たない。その古参者から差し出されるミルクを飲み、栄養補給を繰り返すことに終始する。次第に食事以外のもの、例えばカラフルなブロックや愛嬌のあるぬいぐるみなんかも与えられるようになる。それらを自ら手に取ったり、時には口に入れたりするから、遊んでいるように見えるかもしれない。しかし、これは外界のものに触れることで、食べられるもの/食べられないもの、自分/他者を判別し、自分が生れ落ちたこの世界を少しずつ認識していく過程でもある。

 自分は何者であって、何者になろうとするのか。年に数回しか顔を合わせない親戚からの質問、入園や卒業などの節目とされるイベント、定期的に課される学校の作文課題で、私たちはこの問いを幾度も突き付けられる。

 

 

 木村先生は何者であって、何者になろうと考えたのか。その手がかりは、木村先生が生れ落ちたこの世界の古参者が導いてくれたものだった。

 

「うちの父親も元々公務員だったのと、いとこのお母さんも教員だったし、母親も保育園の先生だったり、なんとなく小っちゃいときから、『先生、ほう、先生』って思っていたし。お父さんが金八先生が大好きで、無理やり見せられていました。その影響でなんか分からないけど、教員っていうものに多分小っちゃいときから漠然と憧れがあったのかもしれません。」

 

手がかりが見つかったといえども、その答えをしかと手中に収められるかどうかは、本人の努力にかかっている。ここまで来ると、古参者はその努力の過程を見守るよりほかない。けれども、見守ることは最大級の応援でもある。

 

「大泣きしてましたよ。『内定出たよー』って、『受かったよ』って言ったら、そうかおめでとう、って。そのあとドア閉めたふりして見てたら、めちゃくちゃ泣いてて。嬉しかったです。うちのお母さんは絶対泣くんですけど、お父さんは普段は全然。感情をこういう時しか出さないんで。」

 

生れ落ちた我が子の手を引き、この世界へと招き入れ、伴走し、背中を強く押すどころか、拳で喝を入れる日さえもあった。その日々を振り返る古参者の涙だった。

 

 

 一人前の大人とは何だろうか。「一人前になる」というのは、特定の知識や技能の獲得を指すのではなく、アイデンティティ形成である。無論、教員としての就職先が決定したことがその形成を指すわけでもない。しかしながら、社会的肩書が目指していた姿に沿うようになったわけだ。

 

「教員になったなって実感したのは、最初の授業をやったときですかね。一番最初の授業は体育の座学だったんですけど。参加者1人だったんです。それで『おー』ってなりました。体育の座学で、それこそあの、レポートをやるだけだったで、特にあれだったんですけど、これなんですかって一回質問があって、それに答えたら、『おー』って『先生になったなー』って。なんですかね、んー、充実感っていうかなんか『おー、なったんだなー』っていうすごいほんわりした感じでした。親に『今日初授業やったよ』っていう、一応、報告のLINEだけして。そしたら、よかったね、って返事が来ました。」

 

 自分は何者であって、何者になろうとするのか。自分の姿は、自分で見ることはできない。自分の姿を映してくれるものが必要である。目の前に座った生徒だったり、報告を聞いてくれる親だったり。そうした人とのやりとりから、自分が何者であるかを実感する。そして、その実感と理想の重なりと異なりとを調整し、また次の何者化を目指していく。

 

 

「頑張ってるか」

「嫌になったら、帰って来いよ」

 

この世界の古参者である父からのメッセージは、短くも頼もしい。

 

 

今日は木村先生の「現在」についてのお話でした。

来週は、木村先生の「未来」についてのお話です。

お楽しみに。

instaバナー.jpgTwitter バナー.png

飛鳥未来フリースクール(バナー).png