お茶の水キャンパスには、個性豊かで素敵な先生がたくさんいます。
先生はどうして先生になったのか。
先生はどんな先生だったのか。
先生はどんなことを考えながら授業をしているのか。
「先生たちにインタビューをしてみました」シリーズ第4弾。
今回はこちらの先生のお話をご紹介します。
「当時、ちょっと好きだった子がサッカーを好きだったからですね。」
不純な動機から始めたサッカーだが、それを好きな気持ちは純粋だった。小学校に上がる前にサッカーに出会い、クラブチームでその力を開花させ、中学3年の秋にはいくつもの高校から声がかかるまでになった。
「高校時代はほんとに、良くも悪くもサッカーのことしか考えてなくて。高校に行ったら、お恥ずかしながら、勉強を本当にしなくなって。高校までの行き帰りで多分なんやかんや5時間ぐらいはかかってて。朝練も自分は一応やってて、それこそ朝5時とかの電車に乗って、帰ってくるのは夜10時前ぐらい。家には、ほんとご飯食べて寝に帰るだけでした。それを3年間ずっとやってました。」
木村先生はもてる限りの時間をサッカーに費やした。それが許される環境に身を置くことができた。
「授業は寝てるか、ごはん食べてるかでした。うちの高校がそれこそ、いわゆるスポーツコースみたいなのがあって。一時間目の授業のときにごはん食べていると、『太一ゆっくり食べないと栄養吸収しないよ。しっかり噛んで食べろ』って。怒られるとしたらそれぐらいで。ほんとにもう楽しかったですね。」
しかしながら、実力者がひしめき合う中で、覇権を握るのはそう容易いことではない。ヘゲモニー闘争を繰り返したが、それでも報われないこともあったと言う。
「最後の選手権、最後の最後でメンバーを外されちゃって、そのあとちょっと、部活内であんまり良い扱いも受けなくて、一時、イップスじゃないですけど、サッカーボール見るだけで気持ち悪くなっちゃうみたいな時期があって。」
「ご飯食べて寝に帰るだけ」であった家に、そして自分の部屋に引き籠った。
「高3の秋ぐらいですかね。1週間、2週間ぐらいじゃないですか。メンバー発表の日は、お父さんもお母さんも「背番号何番だった」って、もうメンバーに入るもんだと思ってたから。それが辛くて」
時間も、力も、思いも注ぎ込んできた。だからこそ、自分の期待にも、他者からの期待にも応えられないことが苦しい。
「そんな中、自分のお父さんがいきなり部屋にバーンって入ってきて、いきなりぶん殴られて、いつまでもめそめそしてんじゃねぇってめっちゃ怒られて。『勝負だから勝ち負けはしょうがないけど、自分に負けんな、弱っちい男になるんじゃねぇ』みたいな。熱い昭和の親父、に、憧れているおじさん、みたいな。グーで殴られて。でもまあ、それで、あぁ、確かにってなって。」
頭をガツンと殴られたような衝撃を受けた。実際、左頬を拳で殴られていた。これでさすがに目が覚めた。
「そこからなんていうんですかね、そういった挫折を味わった自分ができることはないかなって。教員になりたかったんですけど。体育の教員を目指そうかな、って。そこで、自分なりに立ち直れたんですけど。自分も人の人生に何か影響を与えられる人になりたいなって思って。ぱっと思い浮かんだのが教員だったっていう。」
「自分も人の人生に何か影響を与えられる人になりたい」
握れば拳、開けば手のひら。
父親の握りこぶしは、木村先生に自分の置かれた状況の捉え方を変えさせた。
今日は木村先生の「過去」についてのお話でした。
来週は、木村先生の「現在」についてのお話です。
お楽しみに。