お茶の水キャンパスには、個性豊かで素敵な先生がたくさんいます。
先生はどうして先生になったのか。
先生はどんな先生だったのか。
先生はどんなことを考えながら授業をしているのか。
「先生たちにインタビューをしてみました」シリーズ第2弾。
今回はこちらの先生のお話をご紹介します。
「丸付けがしたい」
小学生の大久保先生は、目の前でサッ、サッと円を描いていく担任の教師の手元に憧れた。台所で腕を振るう母親、出勤前にネクタイを締める父親、オルガンを奏でる幼稚園の先生。思えば、赤いペンでテストの採点をしていくことは、小学校に入学したばかりの子どもにとって非常に新鮮な所作だ。
「先生になりたいって気持ちはずっとあって、そこに何か加わっていく感じでした」
所作への憧れに、やがて「空間」への愛着も重なっていった。
「ずっと学校にいたいと思っていました。毎日起こることが違うし、いろんな子と喋れて、行事も好きだったし、ずっとこの空間にいたい、と思っていました」
学校という「空間」では、色々な話題、色々な人間、色々な出来事に遭遇できる。ここで感じられる多様性が、ここに長く身を置いておきたいという気持ちにさせるのである。
この多様性は、大久保先生にとっての学校を語る上での勘所であると私は考える。
「人生の中で自分ができる仕事って限られている。今から私が宇宙飛行士になりたいと思っても、それは難しいし。学校っていう空間にいることで、生徒が何か将来の夢を見つけて進んでいく姿を見ることができるんじゃないかなって」
大久保先生という人間は一人であって、諸説あるのかもしれないが、人生は一回である。その中で実現できることは「限られている」。けれども、自分が関わっていく生徒たちが、各々の夢を模索し、叶えていく様子を近くで応援することはできる。一人の人間の、一回の人生は、多様な夢で溢れるものとなる。これが「私が学校が好きってことの、根本にある理由です」と大久保先生は言う。
高校生になった大久保先生は、本格的に教師への道を志すようになる。
蛇の道は蛇。餅は餅屋。大久保先生は、教師たちに話を聞いて回った。
「知りたい。人がどう考えて、どう進んだのか知りたい。どういう人が先生になるんだろうっていうのも気になっていました。私がそれまで先生に恵まれていたんで、どうやったらこうなれるんだろう。この人たちはどういう意志があって教員になろうとしているのか、っていうのが知りたかった。私は教員になりたいと思っているけれども、この人たちは実際に教員になっているわけで、そこまででどんなことを思い、結局そういう、『何か』があって教員になっているわけなので、そこの『何か』を知ることで、なんだろう、安心したかったのかな」
教師は、「何か」があって教師になっている。教師になろうという意を固めた契機であったり、教師になって果たしたい思いであったり。大久保先生は、教師たちのその「何か」を知りたかった。
「先生になりたいって気持ちはずっとあって、そこに『何か』が加わっていく感じ」
大久保先生の「何か」は一体何だろうか。
教師の所作への憧れ、学校という「空間」への愛着、その道の先輩から伝え聞いたこと。
そのどれもが、今日の大久保先生をあらしめている。
今日は大久保先生の「過去」についてのお話でした。
来週は、大久保先生の「現在」についてのお話です。
お楽しみに。
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「先生たちにインタビューをしてみました」シリーズ第1弾
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